紅の豚とは
© 1992 Studio Ghibli・NN
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「紅の豚」は1992年7月18日に公開された長篇アニメーション映画です。徳間書店・日本航空・日本テレビ放送網・スタジオジブリ提携作品。配給は東宝。上映時間は93分。キャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ。」(糸井重里氏)。
旅客機内での上映を想定
原作は模型雑誌、月刊「モデルグラフィックス」に宮崎駿氏が連載していた「雑想ノート」の中の一編で、同誌の1990年3~5月号に掲載された漫画「飛行艇時代」です。「飛行艇時代」は「雑想ノート」のNo14~16にあたる全3話であり、「飛行艇時代」の1話執筆の前後で、すでに映像化の企画が進められていたようで、残りの2、3話は映像化の為のプレゼンテーション用のストーリーボードの役割を担っていたそうです。
この映像化企画は当初、前作「おもいでぽろぽろ」で神経質な作業を強いられてきたスタッフ達への「リハビリテーション」と位置付けられていて、「気軽に」に短編として製作しようと考えられていました。具体的には、日本航空の機内上映を中心とした、時間は30~40分程度で、豚と飛行艇が飛び回るだけの理屈抜きで明るく楽しい「趣味の映画」、そんな作品になるはずでした。しかし、どんどん構想は膨らみ、当初の機内上映中心という方針は劇場用作品として興行展開することに転換され、結果、上映時間93分のロードショー公開作品「紅の豚」となりました。
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原作との違い
機内上映中心の短編から劇場公開の長編へと変更された理由の1つとして考えられるのが、当時の世界情勢です。「紅の豚」の舞台は1920年代のアドリア海なのですが、このことは原作の「飛行艇時代」と同じです。元々、戦史や軍事に造詣が深い宮崎駿氏の、とりわけ好きなタイプの戦闘飛行艇を登場させる為には、1920年代のアドリア海が適当だったと考えられます。しかし、「紅の豚」の企画、制作時に湾岸戦争、及び、アドリア海に面したユーゴスラビア国内で民族間の紛争が勃発してしまいました。そんな状況では、当初の企画であった理屈抜きで明るく楽しい映画を製作するのは難しくなってしまったのです。事実、「飛行艇時代」において時代背景は僅かに触れる程度でしたが、「紅の豚」では物語の基調としてあり、要所要所で滲み出ています。
「飛行艇時代」と「紅の豚」との違いで言えば、大きいのはマダム・ジーナの存在です。「紅の豚」の主要な登場人物であるジーナは「飛行艇時代」には登場していません。また、ラブストーリーもジーナと同様、「飛行艇時代」では描かれていません。ですので、ジーナとラブストーリーは、全15ページの「飛行艇時代」を93分の「紅の豚」に発展させる際の物理的な面において大きな役割を果たしていると言えます。そればかりではありません。ジーナは酸いも甘いも知った女性です。そんなジーナが絡むラブストーリーですから、自然と大人の様相を呈することとなります。「紅の豚」が醸し出すビターな風合いは、先に述べた時代背景もありますが、ジーナの存在、並びにジーナがもたらした化学反応が要因であることも間違いないでしょう。
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カッコイイとは、こういうことさ。
前述のとおり企画段階では上映場所は日本航空の機内。なので観客は乗客であり、主なターゲットは国際便に搭乗しているビジネスマンでした。制作側内部の事情としてはスタッフ達への「リハビリテーション」の意味を持ってスタートした「紅の豚」でしたが、同時に疲れきった中年ビジネスマン達の酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、すなわち中年男性達を惹きつける内容が作品としての当初の目的でした。しかしながら、劇場公開ロードショー作品、興行作品としてのターゲットは、映画館に足を運ばない中年男性ではなく若い女性達です。女性の時代と叫ばれ、女性が男性に対して物足りなさを感じている時代に、あえて女性の憧れる男性像を提示する。そういったことを踏まえた上での糸井重里氏によるキャッチコピーが「カッコイイとは、こういうことさ。」だったようです。ちなみに「紅の豚」では、それまでになく、数多くの若手女性スタッフが起用されています。
ただ、中年男性達を惹きつける作品という当初のコンセプトは30~40分の短編から93分の長編への変更になっても結局のところ、変わらなかったように感じます。宮崎駿氏は「まだふにゃふにゃの自我を抱えて、それを励ましたり何かしてくれるものがほしいというひとのためのものじゃない。そういう意味で、これは若者を排除して作った映画です」と発言しています。この発言を聞く限り、中年男性のことは念頭にあったのではないかと推測出来ます。
そして、中年にとっては自信を取り戻させるような作品、「カッコイイって、こういうことだったよな」といった風に思い出させる作品になっているような気がします。「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」という主人公のセリフは「紅の豚」の名言として広く知れ渡っていますが、特に中年には胸に突き刺さるのではないでしょうか。中年を再び奮い立たせる、やる気を呼び起こさせるような効果が備わっていると思います。
更には、排除されたされる若者にとっても、決して無意味な作品ではないでしょう。確かに「紅の豚」は少年や少女が冒険を通じて成長する物語ではありません。また、主人公は中年、他の登場人物達の年齢も概ね高くなっていますので、若者は感情移入しづらいのかもしれません。しかし、角度を変えれば、違う解釈も可能です。
宮崎駿氏もプロデューサーの鈴木敏夫氏も「紅の豚」に登場する人物は自己を確立した人物達と話しています。その言葉が示すとおり、年齢を重ねた登場人物達の背後には、人生を一歩一歩踏みしめてきた自身の足跡が刻まれており、経験の裏打ちを感じることが出来ます。また、何にも束縛されることのない、自らの意志に基づいた自由な生き方を感じますし、その一方で、自由と引き換えにして誓った信念、誰に甘えるでもない強い責任感があることが伝わってきます。つまり、「紅の豚」には本来あるべき大人の姿が描かれているのです。
但し、登場人物を一様に称すれば、クセ者ぞろいであり、何か大事なモノが欠落している者もいます。肝心の主人公も聖人君子ではなく、ヒーローであっても、ダークヒーローやアンチヒーローと呼ぶに相応しいキャラクターです。ですから、模範となる者が描かれているとは言い難いのですが、それでも「紅の豚」を観て若者が「大人ってカッコイイんだ」と憧れて、大人になることを夢見る、言い方を変えれば、これからの人生に、未来に希望を持つということも大いにあると思います。ですので、個人的な見解としては、宮崎駿氏の意に反することになるのですが、「紅の豚」は若者にも有意義な作品であり、ひいては世代や性別を問わず、励ましたり、何かしてくれる作品であると感じています。
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なぜ、豚なのか?
言うまでもなく、「紅の豚」の最大の特色は主人公が豚の姿をしていることです。そして、最大の特色は最大の謎でもあります。但し、あまり謎解きには意味がないように思えます。と言うのは、原作の「飛行艇時代」は「雑想ノート」の中の一編であると前述しましたが、「雑想ノート」には「飛行艇時代」よりも前の作品でも、何作品か豚を擬人化させて登場させているからです。ですから、「雑想ノート」の流れをくめば、主人公が豚であることは別段、驚くことではなく、むしろ、普通のことなのです。
ただ、宮崎駿氏は「紅の豚」のパンフレットのインタビューで豚にした理由について答えています。犬や猫よりも豚の方が相応しい、豚を描くのが好きといった趣旨の話をしているのですが、その中で興味深いのが、タイトル「紅の豚」の由来である主人公のニックネーム「ポルコ・ロッソ」に関する話です。イタリア語で「ポルコ」は「豚」、「ロッソ」は「赤」の意味なのですが、この「ポルコ」という言葉はイタリアでは人を罵る時に用いる品のない言葉でもあるとのこと。ポルコ・ロッソと名付けることに関して、イタリアの中産階級以上の人は、こぞって猛反対したそうですが、あえて、そういった蔑称を名乗らせることで主人公が反社会的な存在だとしているようです。もっとも、イタリア語は分からなくても、人間の中に豚が1人(1匹?)だけ混ざっているという奇妙な状況は一目瞭然ですので、それだけで、そいつは人間の社会から距離を取っていると、反社会的な存在なのだと容易に理解出来るはずです。
そのインタビューで、もう1つ興味深く感じたのは、西遊記に登場する猪八戒についての言及です。猪八戒とは名前のとおり三蔵法師により八つの戒(いまし)めである八斎戒(はっさいかい)を課せられた妖怪です。猪八戒は、その戒めと煩悩との狭間で葛藤するのですが、宮崎駿氏自身も自分に対する世間のイメージと本来の自分自身との間でギャップを感じているようであり、そのギャップとの葛藤を猪八戒に重ねているようです。そして、そこから想像を発展させれば、宮崎駿氏は主人公のポルコ、ひいては「紅の豚」という作品に自身を重ねている、あるいは託しているようにも感じられます。
最後に、「紅の豚」のラスト、もしくは物語以降にポルコが人間に戻ったかどうかというのは観る側にとって議論の的となっていますが、宮崎駿氏はポルコが人間に戻ることに関しては否定的です。
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1920年代、アドリア海。それはけっして「古き良き時代」などではなく、食い詰めた飛行機乗りは空賊となって暴れ回り、彼らを相手に賞金稼ぎは功を競った。その中に、賞金稼ぎとして最も名を上げていた一匹の豚、ポルコ・ロッソ=紅の豚がいた。ポルコをとりまく女性たち、空賊との戦い、宿命のライバル、そして全編を彩る空を飛ぶロマン。- そして、善人も悪党も、みな人生を楽しんでる -宮崎駿が愛する大空を舞台に描く、一大航空活劇!(DVDパッケージより)
参考文献
(株)スタジオジャンプ編 映画「紅の豚」パンフレット(東宝 出版・商品事業室 1992.7)
アニメージュ編集部編 THE ART OF 紅の豚(徳間書店 1992.10)
アニメージュ編集部編 ジブリ・ロマンアルバム 紅の豚(徳間書店 1992.11)
宮崎駿 宮崎駿の雑想ノート【増補改訂版】(大日本絵画 1997.8)
宮崎駿 スタジオジブリ絵コンテ全集7 紅の豚(徳間書店 2001.9)
宮崎駿 飛行艇時代【増補改訂版】(大日本絵画 2004.11)
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